What one likes, one will do well 〜好きこそ物の上手なれ〜

寄り道しながらも、最後は昔から好きな物理とプログラミングに戻ってくる。そんな男の思いをつづるブログです。

結果が全て

「結果が全て」と「過程が大事」という言葉がある。以前はどっちも大事だと思っていたので、どちらかだけを重視する偏ったやり方ではダメだと思っていた。でも考え方が変わった。

 

まずはこの記事に納得した。「「結果が全て」という口癖から性格が分かる心理学

「結果が全て」という口癖の人は、実績や結果だけを重視し、それまでのプロセスにはあまり価値を見出していない人です。

つまり「過程が大事」とは思っていない。しかし、

このタイプの人は、結果を出すために最大限の努力を惜しみません

「過程が大事」とは思っていないが、過程をなおざりにしている訳ではなくて、結果を出すために最大限の努力をしている。

この記事を見たときに、自分は結果が出なかったときの逃げ道を作っていたのだと思った。

 

こんな事を考える事になったキッカケは、会社のある活動だ。活動の報告資料をレビューしてもらったところ、ボロクソに言われた。「目的は?」「定量的でない」「第三者にはわからない」「結果は?」

レビュー前は、それなりにまとまったと思っていただけにショックが大きかった。それでも言われた事を思い返しながら資料をどう見直すか考えていた。

思いがあって行った活動だったが、「定量的」「結果」について致命的な欠陥があることに気付いた。

この活動には「定量的な結果」について考えられてなかったのだ。「結果」が「なんとなくできた」程度にしかならないのだ。

この時に自分の甘さに気付いた。「過程が大事」で活動している事だけで満足して、「結果」を考えていなかった。そんな活動だったら、第三者なら「そう、よかったね。」ぐらい言ってもらえるかもしれないが、関係ある人なら「それ意味あるの?」「時間の無駄じゃない?」と言われても仕方がない。

 

とは言っても全く「結果」を考えていなかった訳ではない。理想があり、そこに近づくための1ステップだったのだ。ただ「定量的な結果」を考えていなかったため、途中経過がわからず「なんとなくできた」の域を脱せられなかったのだ。

 

少し話はずれれるが報告する以上、理解してもらわないといけない。理想の途中経過なら、それがわかるよう「定量的な結果」を持って説明しなければいけない。わかってもらえなければゼロだ。「過程が大事」の過程さえもゼロだ。結局「結果が全て」で、「結果」がなければ始まらない。

 

長くなってしまったが、自分にとっては「過程が大事」は「結果」をなおざりにするための逃げだったと思う。「結果が全て」であり、「結果」を考えなければ始まらない。今回の活動をもう一度考え直したい。